高島公民館 > 里山の自然 = 提案・なぜ今「里山」なのか
この答えはいたって簡単です。私たちが今生きていく上で最も必要で不可欠なものは何でしょうか。
一般的には「衣・食・住」があげられますが、もっと根源的なものです。
そう、「空気・水・食べ物」です。これらの3つとも「里山」が直接作り出してくれているのです。
そして最近これらに異変が起きてきているにもかかわらず、このことに全く気づいていないか、または無関心な人が多いからです。
もしこのままで何の対策も施さずに「里山」を放置し続ければ、間違いなく近い将来「自然環境」は破壊され、私たちを含む地球全体の生き物たち(=動植物)が絶滅の危機にひんしてしまうからなのです。
突然このようなブッソウな書き出しをしますと、多くの方々がびっくりされたり、また誤解があってもいけませんので、この理由をご理解いただけるよう順を追って書きたいと思います。

写真1−金山寺部落の里山風景
まずこの意味ですが、念のため書かせていただきます。「里山」とは私たちのもっとも身近にある「自然」の総称です。
主な構成員は雑木林、小川や川・ため池、水田・畑や用水路、あぜ道・小道、竹林、草原や湿地帯、神社やお寺の森、屋敷の林、近くにある人家や集落などです。
これらはお互いが人間を含む動植物(=生物)の生活の場として非常に深いつながりを持っており、私たちの先祖が定住を始めた縄文時代からごく最近まで生活と密着し利用され続けてきた地域のことで、言うなれば日本人が共通に抱いている「心の原風景」でもあります。
今から40年ほど前までの家庭燃料といえば、雑木林から切り出されたアカマツ・クヌギ・コナラ・アベマキ・ウバメガシ・竹などの割り木や炭類、たきつけには落葉や下刈りした柴(たけの低い雑木類)などが使われていました。
また水田・畑の肥料には下草やあぜ草を刈り取って作った堆肥、落葉かきして作った腐葉土をすき込んだり、草木灰などを使用して、今でいう有機栽培農法でした。
また木材や竹材は農業資材や生活用具に活用され、燃料や炭・肥料などは都会にも送られて、貴重な収入源になっていました。
これら以外の山の幸には、きのこや山菜、薬草や木の実、草花や果実、昆虫、クラフトの材料などがあり、四季折々に変化する景観も生活に潤いを与えてくれていました。
昔の子供たちは家事の手伝いにも熱心で、家族と一緒に山へ行って木を切ったり、落葉かきをしたりしていたので、遊び場も必然的に山や野原などいわゆる里山が中心でした。
私もこの時代に幼少期を過ごしましたので、山でのアケビ取りなどには木登りやフジづるでターザンごっこをし、ポケットにはいつも小型のナイフ(肥後守)を入れていて、遊び道具のほとんどはこのナイフでの手作りでした。
それが昭和30年代の中頃から家庭燃料として灯油やプロパンガスが普及し始め、電化製品が出回り、農業には化学肥料や農薬が使われだしたため、台所やお風呂の構造は近代化され、農作業も機械化されていきました。
さらに高度経済成長に伴う農林業後継者のサラリーマン化などの条件も加わり、今までの生活様式は様変わりしました。
この結果私たちの生活と密着していた里山の、特に農民によって長い間維持管理されてきた雑木林は、不用で邪魔者となってどんどんと宅地化され、また大型道路やゴルフ場、工業団地・観光施設などへと次々に姿を変えていきました。
かろうじて残った雑木林も人手不足や高齢化、必要がないなどの理由で見向きもされなくなり、放置された状態で今日に至っているのです。
また竹林も同じ運命をたどっています。かつては建築資材や農作業の用材、水害防止の目的、カゴ・ザルなどの材料として不可欠なものでしたが、今ではわずかにタケノコの需要ぐらいで、容器類はプラスチックやダンボールにとって代わられたために見向きもされなくなり、周囲の雑木林や田畑・道路にまで進入拡大して、自然環境を乱してきています。
ここで少し専門的なことに触れますと、水と緑の美しい惑星=宇宙船地球号は、今からおよそ46億年前に誕生しましたが、人間の歴史はたったの数百万年でしかありません。
そして私たち人間がこの地球に大きな影響を与え出したのは、イギリスの産業革命以後から今に至るおよそ200年間です。
飽くなき科学技術の革新で、物質文明は大いに進展し便利な世の中にはなりましたが、これらと引き換えに自然破壊のペースも加速しました。
今盛んに言われているのは「公害問題」で、大気汚染(地球の温暖化・オゾン層の破壊・光化学スモッグ・酸性雨・環境ホルモンなど)と水質汚染(富栄養化・赤潮など)が大きな負の副産物です。

イラスト−雑木林での食物連鎖ピラミッドの例
もう少し自然界のことをご理解いただくには[生態系](エコ・システム)と呼ばれる仕組みを知っていただきたいのです。いろいろな生物とそれをとりまく環境が互いに関わり、ひとつのまとまりを持っていることです。
この代表は「食物連鎖」「住み分け」「共生」などです。
「食物連鎖」とは食べ物を通して生物が網の目のように複雑につながっていることです。
例えば木の葉(デンプンやブドウ糖などの有機物を作るので「生産者」という)をアオムシが食べ、それをカマキリが食べる。さらにそれを野鳥が食べ、野鳥をタカが食べる(これらを「消費者」という。人間も彼らと同列で消費者)。一方アオムシが落としたフンや落葉・動物の死骸などは、地上や地中の昆虫やミミズ・微生物が食べて土に分解し(これらを「分解者」という)、栄養分となって植物を育て、またアオムシに食べられる、といった〈循環〉する状況をさした言葉で、まさに'食う−食われる'のきびしい関係にあるのです。
もしこの途中で1つの生物群([種]という)に異変が起きると、その上部(それを食べる)の動物は食糧不足で生きていけなくなり、さらにその上部から上は全て死滅してしまいます。
かつてたくさんいた生物を見かけなくなったり、今まで見なかった生物が突然出てきたり、同じ種類の生物が異常に増えてきていれば、このルートのどこかが壊されていることを示していて、まさに生物は〈環境のバロメーター〉と言えます。
すでに人間の環境破壊が原因で多くの種が絶滅していますが、環境省が平成12年3月現在で発表している絶滅の恐れのある野生生物(「絶滅危惧(きぐ)種」という)は57種もあります。
これらの中で私たちになじみの深いものをあげてみますと、メダカ・ゲンゴロウ・カタツムリ・オオクワガタ・スッポン・カブトガニ・タンチョウ・フジバカマなどです。
カラスやヒヨドリ、ブラックバスやセイタカアワダチソウなどの異常繁殖,ドジョウ・アユモドキなどの激減、イノシシやタヌキなどが人家近くに出没してきているのはまさにこの環境破壊の一例で、自然界からの警告なのです。
また自然環境を見るモノサシとして「指標生物」があります。
「住み分け」とは、動物は種によって住んでいる場所や時期、食べ物などが異なり、お互いが邪魔をすることなく暮らしていることです。
植物も標高とか乾燥地や湿地帯、日なたと日陰、開花時期、落葉期間などで住み分けています。
しかしここでも人間が彼等の住み家に強引に入り込み、絶滅させたり、絶滅の危機に追い込んでいるのです。
「共生」とは生物がお互いに助け合って生きていることで、例えば木の実が赤いのはなぜだかご存知でしょうか。
これは野鳥の目によくつき、種子を遠くまで運んでもらえるように進化した結果なのです。
また反対に相手に食べられない仕掛けをめぐらせた植物も数多くあり、まさに自然界の複雑さ・巧妙さ・奥の深さにただただ驚嘆させられます。
こうした不思議・驚きの出会い体験が〈自然観察〉の楽しみでもあります。
以上のことからもお気づきのことと思いますが、われわれ人間もこれらの動植物とまったく同じ生態系の中に組み込まれているのです。
例外ではないのです。
私たちは毎日野菜や果物、肉や魚などのお世話になっていますが、それらはみな人に食べられる状態になるまでには、長い間他の多くの生き物を食べ続けてきました。
こうした彼等の命を毎日いただいてはじめて私たちは生きていくことができるのです。
このような重大な事実に全く気づかず、人間の欲望を満たすためなら自然環境を思い通りに改変してもいいといった傍若無人の思い上がった振る舞いが、今一番大きな悲劇を生んできているのです。
したがって自然界の苛酷な「おきて」=多様な生物が'食う−食われる'の複雑な関係を保ちながら、必死の思いで毎日を暮らしているという現状=を十分ご理解いただき、多くの命を提供してくれている生き物たちに思いをめぐらし感謝しながら、こうした自然界の微妙なバランスを損なうことのないような生活態度で毎日を過ごしていきたいものです。
★ ここで突然ですが気分転換に<クイズ>を出します。何問できるかやってみてください。
《答》全部マチガイ。理由は生態系を無視した人間中心の行為だから。ヒントは文中にあります。
私たちの命を支えてくれている酸素は何が作ってくれているか考えたことがありますか。
たしか中学校の理科で習ったと記憶していますが、緑色の葉をもった植物が太陽光線を受け、地中から吸い上げた水分・養分と葉の葉緑素を使って光合成(私たちの時には炭酸同化作用といっていた)という働きをしています。
この結果不用になった酸素を大気中に放出し、二酸化炭素(炭酸ガス)を吸収します。
一方私たち動物にとってはこの植物の働きとは全く反対で、彼らが不用になった酸素を吸って、二酸化炭素を不用物として放出しています。
まさに植物と動物は共生関係にあるのです。
ものを燃やした場合も酸素を消費し、二酸化炭素を放出しますので、工場や自動車からの排出ガスも吸収してくれているのです。
少なくとも燃料が木材中心の時代には、大気中の酸素と二酸化炭素のバランスは保たれていたのですが、化石燃料である石油・ガスの時代となり、科学技術の進展に伴う酸素大量消費の現代では、大気中に放出される二酸化炭素の濃度が今ある植物だけでは吸収の限界を超えてきているのです。
さらに悪いことには、地球規模でみた時、発展途上国では外貨獲得のために自国の森林の木を大量に伐採しているため、ますます樹木の量が減り、吸収能力が低下の一途をたどってきているのです。
当然のことながら二酸化炭素の濃度が上がれば、私たちに必要な酸素の量が減ったり薄くなってくるため、命の存続が危うくなってきます。こうした理由から植物の必要性と樹木伐採を最小限におさえることの大切さをご理解いただけると思います。
ちなみに人間1人が1年間に吸う酸素の量は、杉の木16本が1年間に作り出す酸素の量と同じだと言われています。
さらに重要な樹木の働きとしては、動物たちの最も初めの食料となるデンプンなどの有機物を作ってくれているのが、この葉緑素を持った植物なのです。
まさに植物は動物全ての命の源を担っている大恩人といえましょう
次に大切な水について考えてみましょう。雑木林に降った雨は木々の表面を潤しながら、地面に積もった落葉や腐葉土を通過する間に、空気中のチリや不純物を濾過します。
地中の栄養分をたっぷり溶かし込みながら、時間をかけて地下水となり、湧き水となって川に流れ出ます。
川には微生物がたくさん住んでいて、植物プランクトンを多く含んだ水は水中生物の餌になってこれらを活性化させ、汚れを分解してきれいな水質に変えてくれます。
私たちの命を支えてくれている水道水は、川の途中で上水道施設に取り込まれて処理されたものです。
農業用水としては米や野菜・果物を育て、工業用水としても活用されています。
川を下って海に入ると植物プランクトンは動物プランクトンの餌となり、彼らは小魚の餌に、小魚は大きい魚の…という具合に食物連鎖を繰り返しながら、最後は人間に食べられてしまいます。
「森は海の恋人」という言葉があります。不漁に悩む漁民が川上の山へ植樹に出向く理由がお分かりいただけると思います。
まさに自然界は奥深いもので、私たちがおいしい魚介類や海草をたくさん食べたいと思うなら、森林=雑木林を健全に育てていかないといけないのです。
ただここで気をつけないといけないことは、植樹する木の種類は必ずその地域に生えている種類でないと、周囲の環境に悪影響([負荷]という)を与えることになります。

写真2−ツル植物に覆われた樹木
雑木林=森林は「緑のダム」とも言われ、雨水を大量に蓄える働きをしています。
とりわけ落葉広葉樹は落葉をしっかり積もらせ、根を深く張るので、保水能力に優れ、土砂崩れを防いでくれます。
これに引きかえ手入れのされていない雑木林では、主に落葉しない木々(常緑樹、主にシイやカシ類)やツル植物などが全体を覆いつくしています。
そのため太陽光は地表まで届かず、日中でも薄暗くて風通しも悪いので、覆われた植物は次々と枯死していきます。
地表は落葉がなく、むき出しの状態でどす黒いカビが生えています。
人工林の代表にはスギやヒノキがありますが、国産木材の価格の下落や人手不足などで枝打ちや間伐(間引き)がされていない場所も同様の状態です。また地域によってはモウソウチクやササなどが進入しています。
そのため木の実が落ちても育たず、腐葉土の養分もないので木の幹も細く根を十分張っていないため、大雨が降ったり暴風雨があると、土砂崩れや大量倒木、洪水発生の原因にもなりかねません。
またこのような環境では餌もないので、動物たちも近寄ってきません。
もう一つ水関係で気に留めておいていただきたいことは、川の汚れです。
元来川には水の汚れを浄化する力が備わっているのですが、現状では家庭や工場などからの汚染物質の排出量があまりにも多いため、浄化能力をはるかに超えてきていることです。
この原因の一つは川の生物のことを全く無視して、人間中心の治水・利水を最優先にしたコンクリート舗装で、水田の中の細い水路までが三面張りになっていることです。
以前ですと川は直線ではなく、土砂の堆積した中州や両岸には草木が生い茂り、水中には水草が豊富にありました。
このような環境が微生物から水生生物・魚や水鳥までを豊に育み、水の汚れを分解して水質を浄化する力が発揮できたのです。
洪水や堤防の決壊は当然防がなければなりませんが、衆知を結集して、水生生物と人間が共生できる対策を早急に講ずる必要があります。

写真3−金山八幡宮の鎮守の森
このように見てくると、雑木林には適当な手入れが必要なことがお分かりいただけたことと思います。
落葉広葉樹が中心の林で時期をずらして伐採や間伐、下草や柴・ツル植物が刈り取られ、落葉も適当にかかれた所では、太陽光が十分地表にまでさし込み、林全体が明るく活性化します。
種子が落ちると芽吹き、光を好む野草や低木は花や実をつけて種類も増え、樹木は勢いを増して枝や葉をいっぱいにつけると、虫たちは集まり、それを目当てに野鳥が増え、他の動物たちも集まってきて賑わいを増します。
種類の少ない生物が多くいる場所よりも、いろいろな種類の生物が住んでいるほうが、自然環境が健全だと言われています。
こうした開放的な環境になれば、私たちも健康づくりやレクリェーション、自然環境の学習に、四季折々に風情のある自然とのふれ合いを求めて、そこを訪れる回数も増すことでしょう。
ただここで誤解があってはいけないことは、人里を遠く離れた奥山にある自然林(他に原生林とか天然林ともいう)には絶対に人手を加えてはいけないことです。
そこにはすでに何千年という長期にわたって作られてきた特異の生態系があり、もしこれを一度壊してしまうと、再び元へ戻すには想像を絶する歳月が必要になるからです。
ご参考までにわが国の自然林として有名な場所は、鹿児島県の屋久島および青森・秋田県境に広がる白神山地です。
また県内で自然度がかなり残っている場所は、真庭郡新庄村の毛無山一帯と英田郡西粟倉村の若杉天然林が知られています。
しかしこれらに準じた場所が実は私たちのごく近くにあることをご存知でしょうか。
それは神社やお寺の林です。
昔から「聖なる場所」として樹木の伐採が厳しく禁止されてきたため、原始に近い自然がかなり残っているのです。
自然観察者にとってはまさに何が出てくるかわからない「宝の山」的な場所と言えます。
ここの樹木の傾向は常緑樹の高木が中心です。
これに引きかえ人里近くの雑木林は、縄文時代から近年までずっと人の手が加えられ維持管理されてきましたので、この意味から「二次林」とも言われ、ここでは人々の暮らしと密接な関係を保ってきた特殊で豊な生態系があるのです。
周囲にある農業施設や川、寺や神社の森、屋敷の林、草原など里山の環境が複雑に関係しあっています。
すでにお分かりのことですが、これから私たちがこの里山の価値をしっかりと自覚し活用していくためには、今までの農林業中心の活用方法から視点を変え、日常生活に楽しみや潤い・癒しを与えてくれる方策を考え出していけばいいと思います。
自然に触れ親しむための入り口には色々とありますが、それには先ず自分の興味・関心のある事柄から始めるのがいいでしょう。
活動していて何か分からないことが出てくれば、図鑑で調べたり、よく知っている人に聞くとか、今はインターネット検索で簡単に調べることができます。
また自治体とか自然保護団体が行っている各種の自然観察のイベントに参加してみるのも、大変有効な手段です。
こうした行為や活動を通して自然に親しんでいけば、自ずと自然の仕組みに気づき、新鮮な驚きや感動を味わうことができます。
こうした体験の積み重ねが自然環境の保護・保全活動にまで結びついていくならば、きっと私たちや子・孫たち次世代の命は長らえられ、地球の未来は明るいものになっていくことでしょう。
では具体的な取り組みの一例をあげてみます。
など色々な方面から関わっていくことができます。
また上記の活動を他人に頼らず、地区住民の総力を結集して行えば、さらに地域は活性化されることでしょう。それには全住民への事前アンケート調査が欠かせません。
この調査内容は
これらを集計することで
などが自動的に決まります。あとは'やる気'だけの問題です。もし指導方法や内容などで自信のない向きには、例えば操山公園里山センター(tel.086-270-3308)に依頼すれば、各種内容の指導方法やノウハウを無料で伝授してくれますよ。
地域の住民がこぞってこうした自然環境関連の活動を行うならば、地区の魅力を再発見・再認識することができ、地域は大いに活性化され、郷土を誇りに思い愛する心が必ずや芽生えてくるものと確信しております。
以上
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