後楽園用水(こうらくえんようすい)

旭川付近の後楽園用水  後楽園造園当初、津田永忠の工夫により、約4キロ北方の祇園から旭川の水を引き、これをサイホンの原理で園内に引き入れていた。この用水は古くは後園用水と呼んでいたが、のち後楽園用水と呼ぶようになった。後楽園に使用されるばかりでなく、竹田・東川原・西川原・浜地区の灌漑用水としても利用されているので、四カ村用水ともいわれている。
 近来は、汚濁された水が用水に流れ込み、園内の使用に適さなくなったので、昭和39年(1964)8月より、毎分5.9立方メートルの地下水をポンプアップしており、その清らかで豊かな水が、園内を巡る曲水となっている。


夢二郷土美術館(ゆめじきょうどびじゅつかん)

夢二郷土美術館   抒情画で著名な竹久夢二(1884〜1934)の顕彰を目的とした美術館。後述の西大寺軽便鉄道・後楽園駅跡地に、夢二生誕100年を記念して建てられ、昭和59年(1984)開館した。後楽園を中心とする岡山文化ゾーンにあり、赤レンガ造りの風見鶏のある建物は、夢二と共に大正時代を偲ばせる。「立田姫」、「砂時計」などの絵画や、夢二に関連する資料約1500点を収蔵・展示している。


西大寺 軽便鉄道(さいだいじ けいべんてつどう)

 明治43年(1910)地方交通の発展をはかるため軽便鉄道法が施工されたのを機に、明治44年(1911)12月西大寺−財田間の開通を見る。翌月森下(現両備バス営業所)までが完成し、軌道幅員は3フィート、可愛らしいコッペル機関車にひかれて森下から西大寺まで乗れば運賃18銭であった。
 その後上道郡一円を循環する線路敷設を計画し、金岡−沖田−花畑にいたる敷設認可を受けたが大正4年(1915)この構想を廃して、路線を森下から後楽園まで延長した。
 西大寺観音院の会陽の日には満員で屋根にまでお客が乗ったが、、第2次大戦後はバスに押されて乗客が減少し、赤穂線が開通するにおよんで昭和37年(1962)9月に開業以来52年の歴史に幕を閉じた。
後楽園駅線路跡 西大寺軽便全路線図



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